すべての「憂鬱」から切断される、真の宇宙に飛び込もう
1995年に作られて、公開前夜の2回のTV放映の後、
いきなり公開中止の事実上発禁状態になった映画。
「美しき緑の星」 (La Belle Verte)
コリーヌ・セロー監督作品 (フランス)
「切断プログラム」というキーワードが、全編に渡って
観る者に何かしらを発動させる・・・・・・・
<ある存在>にとって、それは起こってはならない
自らの破滅をもたらす重大な映画になってしまったようです。
この映画を観たわたしは、大好きなフランス映画らしい
ユーモアと映像、言葉、演出のすべてに大満足でした。
異星人が地球に<星外派遣>という冒頭のシーンからして
「お~~っ」となった訳でして。
自らの宇宙人魂を認識しているわたしには、「あれはどこの星?」
という推理にまず意識が向いた。
感動したり、「懐かしい!」と涙したりする人たちのコメントを見たりして
きっと、この星が故郷の人たちなんだろうなぁ。と想像したりしました。
私自身は、この星の人たちが、今の地球より何千年も進んだ星の
住人であるとして、いくらテレパシーや、超科学的な能力を開花していたとしても
あの超原始的な生活環境の中だけで過ごしているとは思えなくて、
もしかしたら、その<都市部>は描いていなかっただけなんじゃないかと
思うのでした。 あるいは、都市部は、惑星内部にあるのかもしれないし(笑)
5次元存在は、テクノロジーの粋を集めた都市部は惑星内部、そして惑星地表部は、
自然の調和の世界を残すかたちで、3次元物質存在に変容して暮らす。
みたいなこともあるようですし。
古代レムリアも、アトランティスも、広大な自然との共存部と
超テクノロジー(クリスタルエネルギー)で完全なる都市を形成する
地域とは区分されていたと記憶しています。
こういった私の話も、私自身の宇宙に関わっている様々な<情報>が
もたらすある意味<現実>なので、荒唐無稽と思われる方がいても
それは、承知の上なので、どうかご容赦くださいね。
続けます。
映画の中の「切断プログラム」は、本来の宇宙存在としての自覚を
呼び起こすための、この世の社会性、習慣、善悪、あらゆる二元性呪縛の切断。
本来の宇宙存在とは、宇宙法則そのものである<愛>ワンネスである意識。
そしてわたしは、赤ちゃんと主人公のミラが行った「交換プログラム」が
気になりました。エネルギーの交換の意味だとおもうのだけど、
どういうシステムなのか知りたかったです。
どの場面を切り取っても、そこに<天の暗号>が描写されている。
そして、ミラの星が映像で出る時、バックに常に聞こえている
風のような声のような低く柔らかい<音>は、星の発している周波数を現しているのでは
ないかと思ったりしました。
あれは、やはりプレアデス星団のどこかの惑星なのでしょうかね。
<耳鳴り>というキーワードもありましたね。
わたしも、常時高音で聞こえ続ける一定の<耳鳴り>と共に日常を送っていますが、
ときどき、その<音>が変化したり、強くなったりするときには
その意味を探ることをせず、ただじっと耳を澄ませて聴くようにしています。
それだけなんだけど(笑)
いろいろ思いを馳せると、どこまでも話は広がりそうです。
ただ、現在の地球に住むわたしたちが、今もっとも早急に「切断」されなければ
ならないものは、なにか?ということにテーマを絞れば、
あの映画が発信しているメッセージを受信し、それを受けて「切断」されたエネルギーは、
相当な影響力を持って、この地球全体の波動を変えることは想像に難くない。
いま、それが本当に必要になったのだと思います。
それにしても・・・・・
空の攻防は、まだ続いているようです。
そして、
宇宙空間でも。
アンドロメダカウンシルのバイオスフィア
Sarsta(サースタ)が太陽系内に停泊しているとも聞きます。
(もっともサースタは、金星と同じくらいの大きさで
3次元的には目視できないらしいのですが)
彼らは、ガイアの意識をサポートしながら
わたしたち人間の生命体エネルギーの波動上昇を、固唾をのんで見守っているのでしょう。
未だ、重なり合った次元の膜は
波打ちながら、重なったり離れたりを繰り返しているように思えます。
わたしたちの意識もその波にまだ乗り切れてはいません。
見えるものと見えないものを区別するのではなく
見えないものへの全面的な意識のシフトチェンジを。
スピリチュアルは<夢>ではない。
<意識科学>という(こういう言い方かどうかわからないけど)
近未来のわたしたちが学習する必須科目なのです。
見えないものとは,自分自身の本心の宇宙図です。
自分にしか見えないのに
まったく見ることのない、
信じることのなかった
禁断の部屋に戻るときが来ています。
禁断のお札を貼ったのは,わたしたち自身ではないのです。
自分の部屋の鍵を
管理人に非合法に取り上げられていたのです。
その鍵は、どこにあったのでしょう?
その鍵は、
ずっと私たち自身が持っていたのです。
もっていることを忘れるように<魔法>をかけられた。
そういう歴史のなかに、わたしたちの真実があります。
おとぎ話のように<魔法>は実在したし、
それが超テクノロジーというヤツなのです。
それが、高次元の存在の真実です。
自分だけの責任において、永久に自由である
その<見ようとしていない>真実へ,シフトチェンジすることです。
見えるものに、真実などありません。
見える=現実=真実 は違う。
それは見せられていることに気付いていないだけ。
見えるではなく、<観る>という意識に目覚める。
いかにも、SF的なお話のようだけど、
これが、現実であるということを
わたしは、日を追うごとに確信を強めています。
意識世界の宇宙は、その意識の向く方向に広がり続け
新な扉を開いたその向こうには
<知らなかった>
<想像しただけだった>世界が
現実として繰り広げられているのです。
わたしたちがこの3次元世界を<現実>として
認識するのと同じように、
その世界(次元の膜の向こう)には、
その世界の<現実>がそこにあるということです。
春色の風、空、太陽を仰ぐとき、
そのむこうにある星々や、銀河、その先のまだ見ぬ何かを
イメージ出来得るところまで
どんどんイメージしていく。
それが<進化>という永遠の探究者である
わたしたちの魂の目的ではないかと思うのです。