すべての抑制から自分を解放するとはどういうことか

2015年01月26日 08:59

スピリチュアルに限らず、人の心を扱う分野では、生きる上でもっとも大切な

<メンタル>にアプローチするため、カウンセリングや啓蒙活動において、

自己の精神の鍛練と出来得るかぎりの誠意をもって臨むべきだと思っている。

スピリチュアルな発露が、さまざまな表現として表に出た以上、それを目にする

他者がいて、誰しもが探究の途上であるからには、様々な情報にアクセスするだろうし、

<見えない世界>からのメッセージは、そのソースが正しいものと証明できない中で

<チャネリング情報>を鵜呑みにしてしまうことが少なくない。


わたしも、本当にたくさんの書籍を読み、インターネットの情報を探し、または、見つけ、

または、偶然出会って、自分自身のスピリチュアルに少しずつ肉付けをしてきた人間

の一人です。そうして、今、あらためて思うことは、情報は、そのまま自分の中に溜め込む

だけでは決して自分のものにならない。ということ。自分の中にインプットされた情報を

自身の<思索>と<命題>の海に注ぎ入れ、理解と共鳴共振に至るものだけを残し、

あとはリリースしていく。このような手順を踏みながら受け取った情報を自分用に

カスタマイズして、はじめて自分自身のスピリチュアルが創造されていくのではないかと

考えるのです。そうでなければ、たとえ高次元からの<チャネリングメッセージ>だから

といって選別もせずにその<教え>や<教訓>に囚われると、真逆のことをいっている

<高次元の存在>もしくは<宇宙存在>の情報に翻弄されることになる。


真実に多面性はなく、つねに唯一絶対のものだとわたしは思っているのだけれど、

それは、<自分自身の宇宙に在って>ということです。

だから、もっとも重要なのは、高次元にアセンションするためのメソッドやワークやその他

の食事、行動、趣味嗜好の制限や特定の事象やモノに対する忌諱を促すような情報に

触れたときは、実践、経験をしたのち、自分のスタイルに違和感や幸福感を感じないよう

であれば、直ちに手放して良いという気がしています。


例えば、肉は<低波動>だから食べてはいけないとか、<アルコール>はダメとか、

一日に数回は<瞑想>の時間を持つとか・・・・

私自身は、お肉が好き。とくに豚肉の<肩ロース>が大好きです(部位指定(笑))

それに、ワインがなくては食事じゃないくらい、1日に1回は必ずワインをお供に

食事をいただきます。ただ、気を付けていることは、素材の選択と、食べ方です。

基本的にすべてのわたしの食生活に共通しているのは、<発酵>されたもの。

<添加物>を極力避けたもの。<加工品>ではないもの。

ラベル表示だけにたよるのではなく、自分の舌や嗅覚で判断し、視覚的に美しいもの

を選ぶと、間違いはないです。自分自身のいのちの塊が、何を受け入れるかによって

どうにでもなるという事実は、肉体的健康ばかりではなく、精神的充足感を満たすための

とても大切な<意識>の具現化。

だから、<低波動>はモノではなく、自分自身の波動そのものだと考えた方が、対策が

打てます。自分の波動を上げれば、触れるすべてのものが波動を上げてくれるからです。

当たり前の<波動の法則>


スピリチュアルとは、今、ここの日常であり、幸福感の創造であり、連続であり、永遠なのです。

<解放>されるべきは、スピリチュアリストだとわたしは思っている。

アセンションに方法論はないし、そもそも、ハードルをよいしょって飛び越えるものでもない。

幸福感を充満させて、感謝の渦の中に踊り、いつのまにか、不都合などが起きなくなる。

愛を叫ばなくとも、いつのまにか、無意識のうちに、愛ありきベースの日常となる。

スピ系のインフォメーションや情報に、いちいち反応して、自分の内部を混乱させたり、

乖離させる必要はない。この際、意識の本能に尋ね、意識下の抑制から解放されたし。