歌う雪
きみは、見えないものが見える世界に行ったことがあるだろうか。
ぼくは、行ってしまったんだ。
何でもないあの日、ぼくのあたりまえの朝が、あたりまえではなかった。
どうやってあそこに迷い込んだのかわからない。でも、
夢なんかじゃなかった。
朝、目が覚めたら、窓の外は夕暮れで、今にも太陽が沈もうとしていた。
ぼくはまだ眠っていたかったから、またベッドにもぐりこんで目を閉じる。
深々(しんしん)とする部屋の中で、雪が降りてくる音がかすかに聞こえてきた。
雪が降る音・・・・? ありえない。だけど、何故だかぼくはそう思った。
気になったので、目を開けて窓の外を見たんだ。
もうすっかり夜になっていた。
漆黒の空から小さな真綿のような雪が揺れながら降りてくる。
耳の奥から、グラスベルの音の旋律が聞えている。
優しくて、温かで、懐かしい感じがした。
その旋律を聴きながら、ぼんやりガラス窓の向こうを眺めていたら、
景色の中にすごいことが起こっていたんだ!
ぼくは、ベッドから飛び起きて、窓を開けた。
雪が降っているというのに、空気はちっとも冷たくはなかった。
グラスベルの旋律は、小さく舞っていたひとつひとつの真綿の雪を
まるで顕微鏡でいつか見た様な、美しい六角形の図形に変えていく。
いくつもの違ったかたちの六角形の<雪の結晶>は、くるくると回りながら
木々の小枝の先に降りては、雪の花になっていく。
結晶は、ぼくの手の平くらいの大きさだ。こんな雪は夢でも見たことはないよ。
枝に咲いた雪の結晶は、月も出ていないのにキラキラと光って、
まるで、結晶の内部に光源があるかのように、それは輝きを放っていたんだ。
雪は歌っていた。その声は、グラスベルだ。
そして、結晶は生きているかのようにぼくの前で踊りながら挨拶をしてくれた。
その木に咲き集まった<雪の結晶たち>は、羽衣のような風を受けると
風の声に合わせるようにユニゾンで音を同化する。それから、一気に
同じ図形同志が集まって分かれ、混声合唱団みたいなハーモニーを奏で始めた。
どう言っていいかわからないけど、
ぼくは、このハーモニーが宇宙から来たとしか思えなかった。
それに、あの雪の結晶たちは、みんな違った姿をしているんだ。
同じ図形でも少しずつ違うから、全く同じものは何一つない。
<声>は、ファルセットの領域で統合されている。
だから、柔らかく、広がりがあって、荘厳でさえあった。
<雪の結晶たち>のコーラスの音楽は、完璧だった。
歌う雪の花が咲く、たった1本の庭の木は、ぼくが生まれるずっと前に
切り倒されて無かったはずの、あの楡の木だったことを、ぼくはあとで気づいた。
窓の外を見ていたのは、本当にぼくだったのだろうか?
耳鳴りがきぃーんと鳴りはじめた。
ぼくは部屋の中を振り返ってまたびっくりしなくてはならなかった。
ぼくの部屋は、宇宙になっていたんだ。
そう、あの写真でよく見る、ぼくたちの住む銀河が、部屋の真ん中に浮いていた。
銀河はゆっくりと回りながら、ぼくの目の前まで来ると、
「見ただろう?」って話しかけてきた。
「なにを?」ぼくは、頭の中で響く銀河の声に、懐かしさを感じた。
「さっき、見ただろう?雪」
「すごかったよ。あんなのはじめて見た」ぼくは答える。
「あれ、きみが創ったんだぜ」
「え?」
「きれいだったなぁ・・・・・・」
銀河は呟くようにいうと、何だか嬉しそうにぴかぴか光りながら
消えて行った。
ぼくは、明日学校に行ったら、この話をしたいと思う。
でも、だれにするかは、一晩中悩みそうだ。